MENU

米原寿秀(和歌山東監督)の経歴と謹慎の過去? 初の甲子園への道のり

スポンサーリンク

米原寿秀監督の経歴(過去)にいったい何があったのか…。

和歌山東高校を春夏通じて初の甲子園へ導いた米原寿秀監督。

和歌山東高校の硬式野球部としての歴史は浅く、2022年春で12年目になりそれ以前は(2010年度以前は)軟式野球部でした。

2010年、和歌山東高校が硬式野球部に移行したと同時に赴任したのが米原寿秀監督で11年間、和歌山東高校を甲子園へという思いで奮闘してきたと言います。

どのように甲子園まで導いていったのか、気になりますね。 

ここでは

・米原寿秀監督の経歴(過去)

・どうやって米原寿秀監督が和歌山東高校を甲子園へ導いたのか

についてまとめてみました。

目次

米原寿秀(監督)のプロフィール

https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/10/19/gazo/20191019s00001002156000p.html

まずは米原寿秀(監督)のプロフィールを紹介していきます。

  • 名前:米原寿秀(よねはら としひで)
  • 生年月日:1975年1月24日
  • 出身:大阪府南市
  • 学歴:和歌山県立和歌山商業高等学校・立正大学
スポンサーリンク

米原寿秀(監督)の経歴

ここでは米原寿秀(監督)の経歴や各高校の特色をまとめました。

スポンサーリンク

米原寿秀(監督)・高校大学や民間時代

米原寿秀(監督)は和歌山県立和歌山商業高等学校・立正大学ともに捕手として活躍されていました。

その後、民間企業に3年間勤務していたそうです。

スポンサーリンク

米原寿秀(監督)・県立和歌山商業高校時代

自身の母校である県立和歌山商業(現:和歌山商業)高校での勤務になり、まずはコーチ、部長という段階を得て監督になった米原寿秀(監督)。

米原寿秀(監督)は2007年春に選手たちを甲子園出場に導くことが出来ました。

和歌山商業高校・基本情報
  • プロ野球選手:西口文也南昌輝西村天裕など11名(歴代)
  • 全国大会出場
    1951年・1957年夏:全国高校野球選手権出場
    2007年春:選抜高等学校野球大会出場(春大会は初)
  • 生徒
    過去に多くのプロ野球選手を輩出しており、現役の西村天裕選手(日本ハム)の代では和歌山県3位になっていた。
    米原寿秀(監督)の厳しい指導にもついてくる選手層だった。
スポンサーリンク

米原寿秀(監督)・和歌山東高校の野球部監督に就任

2010年、米原寿秀(監督)は和歌山東高校へ異動になり、軟式野球部が硬式野球部に移行すると同時に野球部監督に就任しました。

2021年夏・2022年春に和歌山東高校として春夏初の甲子園出場を果たします。

和歌山東高校・基本情報
  • プロ野球選手:津森宥紀(ソフトバンク)
  • 全国大会出場
    2021年夏:全国高校野球選手権初出場
    2022年春:選抜高等学校野球大会出場
  • 生徒
    野球の能力が高い智弁和歌山高校や市和歌山高校に入れなかった選手や、学力で入れなかった選手が入学する傾向にある。

    入部するのも「やんちゃ」が多い傾向がある。

    米原寿秀(監督)の課す厳しい練習を覚悟して入学してくる選手がほとんど。

    米原寿秀(監督)のしんどい練習を嫌がる選手が多いのだが、中には根気強い指導で力をつけた選手もいる
  • 過去のドラフト候補
    津森宥紀(ソフトバンク)・落合秀市(元06BULLS)・玉置隼翔(愛媛マンダリンパイレーツ)
スポンサーリンク

米原寿秀(監督)・謹慎の過去とは

https://www.hb-nippon.com/column/437-baseballclub/13771-20190628no630/gallery/photo/9

県立和歌山商業高校野球部監督時代の2008年、米原寿秀(監督)は選手を平手で叩く等したそうです。

この件で日本高校野球連盟から警告を受けて米原寿秀(監督)は謹慎処分となりました。

米原寿秀(監督)は選手を厳しく指導をしていく中で行き過ぎた指導になってしまったのでしょう。

その後は米原寿秀(監督)は監督として復帰されていますので、そこまで大事にはならなかったようですね。

スポンサーリンク

米原寿秀(監督)が甲子園へ導いた指導方法・秘訣

ここでは米原寿秀(監督)の和歌山東高校で行ってきた甲子園に向けての指導法や方法や、米原寿秀(監督)の考え方についてまとめてみました。

スポンサーリンク

公式野球部創部~の米原寿秀(監督)の指導への変化

2010年~14年頃
硬式になり求める野球の違いがあり、しんどい練習を嫌がる子ばかりで、米原寿秀(監督)の厳しい練習についてこられる選手が少なかったそうです。

最後まで続けられた選手は2010年度は1~3年生合計で4人(当時全部部員の20数名のうち)しかいなかったのです。

そして米原寿秀(監督)が最初の3年で卒業させたのは4人だけだと言います。

米原寿秀(監督)は生活面(授業態度)が良くない生徒には特に厳しく指導・接したので、余計に選手がついてこれなかったのでしょう。

2014年頃~
米原寿秀(監督)は生徒らの行動の度合いを見て「見逃すところは見逃す」「時には冗談も加えて」を心掛けて接するように方向性を変化させました。

県立和歌山商業高校の選手が2時間持つところ、和歌山東高の選手は15分しか集中力が持たないこともあったので米原寿秀(監督)は目線を下げ、まずは対話を心掛けるところからスタートさせたそうです。

選手が拒否反応を起こしてしまうのを避けるため、米原寿秀(監督)の指導者としての固定概念を押し付けないようにも心掛けました。

練習も制約はせず、「野球は楽しいものだ」という意識を植え付ける打倒練習ばかりするときもあったそうです。

2014年秋
プロ野球選手の津森宥紀(ソフトバンク)が当時エースの世代で、野手の技量も高く県内でも評判が良かった世代です。

県大会制覇を果たし、近畿大会に出場することが出来ました。

そして野球の能力が高い智弁和歌山高校に秋の公式戦で勝利を果たし、近畿大会で準優勝を果たしました。

当時もやんちゃ気質の選手が多いチームだったそうですが、やんちゃでも野球があるから一生懸命になれ、生徒が成長を遂げるようになっていったそうです。

そんな生徒の姿に米原寿秀(監督)は「応えたい」といういう気持ちを持って指導に励みました。

Wikipedia

2018年冬場
米原寿秀(監督)は主力としての活躍を期待する8人を選抜し、別メニューの練習を行いで徹底的に鍛え上げるということをしてみました。

別メニューの練習を行った狙い

全体で同じメニューをやっても意識の差があるので、意識を上げてやっていかないといけない者を集め、他の者の意識もちょっと上がればとの思いから

2021年秋
県大会に先駆けて行なわれる9月の新人戦では、智辯和歌山に0対11で5回コールド負けをしました。

元々中学時代の有名選手がいる強豪校を相手にすると、選手たちは試合をする前から気持ちで負けていることがあったそうです。

そんな気持ちになっている選手たちに対して米原寿秀(監督)は「生まれ持った力はそんなもんじゃない。やればできるんだ」と励ましたんだとか。

https://news.goo.ne.jp/article/hbnippon/sports/hbnippon-column-15469.html

また、大会中は「魂の野球」というフレーズを口癖のように繰り返し、その言葉に背中を押されるように、選手たちは闘争心を前面に押し出して戦ったと言います。

「1か月で絶対に変われる」と米原寿秀(監督)は選手を信じて伝えて続けていました。

選手たちも米原寿秀(監督)の言葉を胸に気持ちを切らさず、信じてやってきたと言います。  

試合中でも選手間で頻繁にコミュニケーションをと取るようになり力をつけた選手たちは、1カ月後の県大会で智辯和歌山に5対4で競り勝ちました。

この試合を通して選手たちは「やればできる」という思いが芽生えたそうです。

スポンサーリンク

米原寿秀(監督)・「魂の野球」の真意とは

選手らに「おまえらはこれまでの環境では力を出せていなかっただけや。おまえらの魂はそんなもんちゃう」と言っていた米原寿秀(監督)。

米原寿秀(監督)は「魂の野球」をモットーに掲げられているのですが、具体的には

  • 練習では声を出す
  • 一つひとつのプレーにも気持ちを込める
  • 「やればできる」と自信を持てる

といったことを意識できるようにという米原寿秀(監督)の考えがあっての言葉なんですって。

スポンサーリンク

米原寿秀(監督)・指導で育てたいこと

「野球で勝っていく指導はもちろん、子どもらには野球以外でも、準備だとか普段の生活だとか、外に出ても恥ずかしくない人間になって欲しい。」

やんちゃをしていた過去があっても、「社会のレギュラー」になれる人間を育てたい。

米原寿秀(監督)はそのような思いで社会に繋がる指導をしていく意識を持たれているそうです。

スポンサーリンク

米原寿秀(監督)の経歴・まとめ

米原寿秀(監督)の経歴は

  • 県立和歌山商業高校時代:2007年春・選抜高等学校野球大会出場に導く
  • 和歌山東高校:2010年~硬式野球部の顧問
           2021年夏、全国高校野球選手権出場
           2022年春、選抜高等学校野球大会出場に導く

県立和歌山商業高校時代(2008年)に謹慎処分を受けたこともありました。

「魂の野球」の真意とは選手らにこれまでの環境では力を出せていなかっただけで、本当は(魂は)そんなものではない(これ以上の力が出せる)という意味が込められていること

野球指導で選手に育てたいことは

  • 「野球で勝っていく指導はもちろん、子どもらには野球以外でも、準備だとか普段の生活だとか、外に出ても恥ずかしくない人間になって欲しい。」
  • やんちゃをしていた過去があっても、「社会のレギュラー」になれる人間を育てたい

ということがわかりました。

2022年の選抜高等学校野球大会での和歌山東高校の活躍が楽しみですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次
閉じる