大野稼頭央さんは中学時代から地元・鹿児島県奄美地区ではかなり有名で一目置かれる有力選手と言われていました。
そんな大野稼頭央さんの中学・小学時代の秘話や高校での強さの秘訣をまとめてみました。
大野稼頭央の中学時代
ここでは出身中学や離島甲子園・大野稼頭央さんが凄いと言われていたエピソードなどを紹介します。
大野稼頭央の出身中学校
大野稼頭央の出身中学校は鹿児島県大島郡龍郷町にある龍郷町立龍南中学校です。
奄美大島の北部に位置する中学校です。
https://goo.gl/maps/saDZ1nXoLsKSMkWA7
大野稼頭央の出場した「離島甲子園」とは
大野稼頭央が中学3年の夏に出場した「離島甲子園」について解説していきます。
「離島甲子園」とは
「野球の殿堂」元プロ野球ロッテオリオンズ投手であり、プロ野球名球会会員の村田兆冶さんによって提唱された全国離島交流中学生野球大会のことです。
「離島甲子園」の目的とは
・野球を通じて「島」と「島」の交流を図ることにより、新たな人間形成や健全な青少年・少女の育成を促進すること
・将来を通じた離島地域の振興に寄与すること
村田兆冶さんは現在72歳。
離島の子ども同士の間に交流、絆が生まれたらという思いもあり「離島甲子園」を続けているそうです。
そんな「離島甲子園」に大野稼頭央さんは中学1・2年には参加できなかったそうですが、中学最後の3年生の夏、出場を果たすことが出来ました。
全国の離島を巡り開催している「離島甲子園」。
大野稼頭央さんの出場した第12回(2019)大会は長崎県対馬市で開催されました。
※「離島甲子園」は大野稼頭央さんの出場した第12回を最後に(コロナの影響か)2020年と2021年大会は開催されていないようですが、2022年からは大会再開するようです。
大野稼頭央・離島甲子園での実力とは
大野稼頭央さんは龍郷町選抜チームのピッチャーと一員として出場し、優秀選手賞に選ばれています。
優秀選手賞は最優秀選手賞の次に凄い賞なのですが、大会で最優秀選手賞・優秀選手賞が選ばれるのは各1人ずつです。
全国から集まった大勢の選手の中からトップ2の活躍を認められた大野稼頭央さん。
大野稼頭央さんの凄さがわかりますね。
離島甲子園に出場する前から、大野稼頭央さんの実力は奄美大島の地区では知られており、強いと有名だったのだとか。
大野稼頭央が入っていた「龍郷選抜チーム」とは
「龍郷選抜チーム」とは大野稼頭央の出身校・龍南中学校と赤徳中学校の中から選ばれた選手で形成された合同チームの名称です。
大野稼頭央さんの通っていた龍南中学校は野球部員数が少なかったため、龍南中学校として離島甲子園に出場することが出来ませんでした。
その為、合同チームで出場したと言われています。
大野稼頭央さん・野球より先に県大会デビューしていた!
公式戦には部員が少なかった近隣の中学と合同チームで臨んだが、県大会とは無縁だった大野稼頭央さん。
大野稼頭央さんは陸上部に交じって「駅伝大会」に出場し、野球よりも先に県大会デビューをしていたのだそうです。
大野稼頭央の小学時代
ここでは大野稼頭央の小学時代のエピソードについてご紹介します。
大野稼頭央の出身小学校
大野稼頭央の出身小学校は鹿児島県大島郡龍郷町にある龍郷町立戸口小学校です。
https://goo.gl/maps/62ewTmYdtXk8ZjBM8
大野稼頭央が野球を始めたのはいつ?
大野稼頭央さんは小学1年生の頃からソフトボールを始め、小学3年生の時に龍南野球スポーツ少年団で野球を始めました。
大野稼頭央・スタミナの根源
かつて西郷隆盛が安政6(1859年)から文久元(1861年)の約3年過ごした自然に囲まれた龍郷町の集落で大野稼頭央さんの身体能力が磨かれました。
大野稼頭央さんは体を動かすことが好きで、1日中走り回って遊んでいたのだそう。
「小さな頃から鬼ごっことか缶蹴りとか、ずっと外を走り回っていた。それが今につながった」。自宅がある集落は小さく、「山ばかり」という環境で、放課後や休日の遊びが体力作りになった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c57c06ad65af7c14bea53cae5a71b1e4996491aa
そして大野稼頭央さんは小学1年から4年間、ソフトボールと野球と並行して通っていたのがなんと体操教室。
体操教室に通っていた理由は「プロ野球選手が、子どもの頃に取り組んでいたと聞いていたから」だと言います。
大野稼頭央さんは小学生の頃からプロ野球選手を意識し、プロの野球選手の影響を受けていたのですね。
負けず嫌いな大野稼頭央さんはプロ野球選手に少しでも負けないように小学生の頃から努力されていたことがわかりました。
ちなみにプロ野球選手で特に影響を受けたのが前田健太選手だったそうですよ。
大野稼頭央の良きバッテリー・西田心太郎との出会い
現在は大野稼頭央さんのバッテリーとして良きチームメイトの西田心太郎さん。
西田心太郎さんとの出会いは小学4年生の頃までさかのぼります。
当時、別々の野球チームだった大野稼頭央さんと西田心太郎さん。
対戦相手として野球試合をしたのが最初だったと言います。
その後もよく練習試合で顔を合わせていた大野稼頭央さんと西田心太郎さん。
相手選手同士ながら、よくお話をしていたそうですよ。
大野稼頭央・甲子園への憧れを抱いた出来事
大野稼頭央さんが9歳の頃(2014年)、※地理的な困難を克服する姿勢が評価され、春夏を通じ21世紀枠で甲子園に出場した大島高校。
※大島高校がある鹿児島県奄美大島は鹿児島市までフェリーで11時間、距離にして約380キロも離れたところに位置します。
その際に大野稼頭央さんも大島高校を応援するため、試合会場だった甲子園まで足を運び1塁のアルプス席で選抜1回戦を観戦しました。
その際の印象は
- 球場:デカいな
- 右翼手も米粒のように小さい(ライトポール付近から見て)
- ここでプレー出来たら楽しいんだろうな(甲子園への憧れ)
だったそうです。
大野稼頭央さんは当時どこの高校でプレーしたいのかは考えてなかったそうですが、身近にいる大島高校の選手が甲子園でプレーする姿を直接見たことが甲子園への憧れに大きく繋がったのでしょうね。
大野稼頭央の高校
大野稼頭央の通う高校は鹿児島県立大島高校ですが、鹿児島市内の野球強豪校ではなく、島の高校に進学した理由は何だったのか・プロを意識しているのか等調査したことをまとめてみました。
大野稼頭央が強豪校に進学しなかった理由
大野稼頭央さんは元々鹿児島市内の強豪校を視野に入れていました。
ですが、西田心太郎さんに引き止められ強く誘ってくれたんだそうです。
周りの選手も島に残る決断をしたそうで、大野稼頭央さんは「島から甲子園を目指した方が達成感がある」と感じ大島高校へ進学を決めたといいます。
西田心太郎さんはというと中学3年の夏、奄美市6校から選抜された「奄美市選抜」のメンバーとしてプレーしていました。
西田心太郎さんも鹿児島市内の強豪校に進学予定で心も固まっていたそうですが、「離島甲子園」へ大野稼頭央さんの「龍郷選抜チーム」と共に出場し、共にベスト4進出をした際に「高校もこの仲間と野球が出来たら楽しい」心の変化があったそうです。
そこで大野稼頭央さんを引き止め大島高校から甲子園を目指すことにしたのです。
大野稼頭央はプロを意識している?
スカウトの方が大野稼頭央さんを見に来るようになってからプロを意識するようになったそうです。
そしてプロ志望も表明しています。
幼い頃からプロ野球選手の真似をして体操教室に通ったり、甲子園でプレーしたい憧れで野球に励んでいた大野稼頭央さんの努力や強さはプロ志望があったからなんですね。
大野稼頭央が理想とする選手とは
理想とするボールのキレとフォームは、DeNA:今永昇太選手。
投球スタイルは楽天:松井裕樹選手とソフトバンク:千賀滉大選手の「圧倒力」だそうです。
「圧倒力」を磨きたいと日々奮闘中なんだそうですよ。
大野稼頭央のまとめ
大野稼頭央さんの中学・小学時代の秘話や強さの秘訣は
- 大野稼頭央さんは体を動かすことが好きで、1日中走り回って遊んでいた中で身体能力が鍛えられた。
- 小学1年から4年間、ソフトボールと野球と並行して体操教室に通っていた。
体操教室に通っていた理由は「プロ野球選手が、子どもの頃に取り組んでいたと聞いていたから」(このころからプロ意識とプロの選手に負けたくないという大野稼頭央さんの強さ) - 9歳の頃に実際に甲子園に応援に行った際、身近にいる大島高校の選手が甲子園でプレーする姿を見て親近感が湧き、「ここでプレー出来たら楽しいんだろうな」と甲子園への憧れに大きく繋がった。
- プロを意識している(プロ表明もしている)
このような環境や考え方、努力があったからなんですね。
大野稼頭央さんの今後の活躍に期待ですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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