北京オリンピックで初の兄弟でスノーボードに出場を果たす平野歩夢選手と弟の海祝選手。
その二人を育てた父・英功さんはどんな人物なのか。
調査したことをまとめてみました。
父親・ 英功のプロフィール
2022年で51歳になる英功さん。
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優しそうな方ですね。
笑顔が素敵です。
- 名前:平野 英功(えいこう)
- 生年月日:1971年
- 学歴:専修大学
- 拠点地:新潟県村上市
父親・ 英功の過去・経歴
土壌改良に携わる準公務員として働いていた英功さん。
サーフィンでプロを目指すため準公務員を22歳前後で退職し、サーフィンの練習をしながらサーフィショップの経営を始められたそうです。
元々英功さんは子供と一緒にサーフィンをしていたそうですが、長男の英樹さんが海で溺れてしまったことがきっかけで兄の英樹さんが海に入らなくなってしまったそうです。
そんな英樹さんが次にはまったのがスケートボード。歩夢選手も一緒に遊んでいたそうです。
そしてどんどん夢中になってスケートボードをしている子供たちの姿を見ている中で英功さんの夢はサーフィンのプロを目指すのではなく、息子たちを全力で応援することになっていったそうです。
もしも長男の英樹さんが海で溺れる事がなければ、歩夢選手がスケートボードを始めるきっかけが無くサーフィンでプロを目指していた可能性もあったのかもしれませんね。
そして2003年~2019年まで日本スケートパークの設立・経営もされていました。
(※2019年4月~は場所を移転し村上市スケートパークとなっています。)
老朽化が進んでいたことから代替施設を整備することとなり、旧「瀬波ビーチランド」跡地に「村上市スケートパーク」が建設されることとなった
引用:ウィキペディア
日本スケートパークの建設に800万円の借金をしていた?
歩夢選手や兄の英樹(えいじゅ)さんがスケートボードに親しんでいたことや
安全に練習ができる場が近場になく「スケートボードを安全に楽しめる場所がほしい」という若者の声が英功さんに届いたこと・子供たちにも東京まで行かないと練習が出来たかった環境だったので毎日通える練習場を作ってやりたかったという強い思いもきっかけで日本スケートパーク(スケートボードの練習場)を建設した英功さん。
市民会館だった場所を行政・地域に納得してもらえるよう説得をし自ら借金をしてまでして練習ができる場を作り上げたなんてすごい情熱の持ち主ですね。
英功さん自身、最初から子供たちにスポーツをさせようとしてはいなかったようです。夢中になり結果も残すようになる中でスポーツとなっていったようですよ。
子供が楽しんで夢中になっている遊びを毎日できる環境をつくってやりたいという元プロを目指していた英功さんの想いが借金をしてでもという考えに至ったのではないでしょうか。
そして借金返済のために節約をすることも頑張っておられた英功さん。車中泊したり自分の分のリフト券は買わずに歩いて山を登ったりと少しでも返済に充ててたそうです。子供たちにはリフトを使わせても自分にはお金を掛けるのはもったいない精神でいたようです。
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父親・ 英功の現在の職業
現在はスケートボードの普及や振興を図る目的で日本スケートボーディング連盟の副理事としてご活躍されています。
その他に新潟県村上市にある居酒屋 波具(バグ)という居酒屋さんの経営もされています。
日本スケートパークの生まれ変わり「村上市スケートパーク」には歩夢選手の兄がいる?
残念ながら英功さんが作り上げ、歩夢選手が4歳から練習をしてきた日本スケートパークは2019年の4月に移転されてしまいましたが、現在日本スケートパークの生まれ変わりである村上市スケートパークには歩夢選手と海祝選手の兄である英樹さんがインストラクターとして活躍されているようです。
英樹さんはご自身もスケートボードの選手として活動する傍ら、インストラクターとして子供たちの指導をされていらっしゃいます。
引用:https://niigata-kankou.or.jp/blog/622
初心者でもレクチャーを受けられ、日本最大級の全天候型のスケート施設でありながら一般利用もできる施設です。
他にも、ボルダリング・ランニングコース・トレーニングコーナーの設備も楽しめ、近くには瀬波温泉や岩船鮮魚センターもあり観光客でも楽しめる場所とのこと。
気になる方は足を運んでみてはいかがでしょうか。
まとめ
平野歩夢選手と弟の海祝選手の父親・英功さんは日本スケートパークを作り上げ、日本スケートボーディング連盟の副理事として活躍される中、居酒屋さんの経営もされている経営者だという事がわかりました。
今後の平野兄弟のご活躍が益々楽しみですね。
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