綺麗と評判になった事がある佐々木朗希(ろうき)選手の母親が再婚していない4つの理由って一体何なんでしょう?
佐々木朗希(ろうき)選手さんは2011年3月の東日本大震災当時、岩手県の陸前高田市に住んでいました。
陸前高田と言えば大津波が到達し甚大な被害を受けた地域です。
そこで佐々木朗希選手の母親は最愛の夫・功太さん(享年37)を亡くす結果になってしまいました。
夫・功太さんと死別して8年後の2019年、佐々木朗希選手の母親はドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから1位指名された佐々木朗希選手と共に姿を現しました。
その際、佐々木朗希選手の母親が「美人すぎる」と話題になっていました。
なのでその容姿から再婚してるのでは?とこちらも話題になっていたんです。
ですが、そんな世間の声とは裏腹に佐々木朗希選手の母親は現在も再婚していないとのことです。
どうしてだろう?と気になりと調査したところ、ある理由が見つかりました!
ということで
- 佐々木朗希選手の母親は現在も再婚していない4つの理由
- 佐々木朗希選手の母親はどんな人?(職業)
- 佐々木朗希選手の母親の教育方針について
について解説していきます!
佐々木朗希選手の母親は現在再婚していない4つの理由
佐々木朗希選手の母親は2011年3月に佐々木朗希選手の父親を亡くしてから現在まで再婚をしているとの情報はありませんでした。
その理由について解説していきます。
佐々木朗希選手の母親と父親の夫婦関係が良かったから
佐々木朗希選手の母親と父親は評判の仲良し夫婦だったそうです。
評判の仲良し夫婦だった。
https://athleterecipe.com/column/1/articles/201907260000200
また、佐々木朗希選手が中学の仲間と甲子園を目指していた高校時代に惜しくも高校野球岩手大会で敗退してしまった時、母親が「私も旦那もこういう時にふざけちゃうんです」とコメントしていました。
佐々木朗希選手の母親と父親は似たような考えから息もあっていて周りから仲良し夫婦だったと言われるような夫婦だったのですね。
そのこともあり、生涯他の男性と再婚することは考えられなかったのかもしれません。
佐々木朗希選手の母親は子どもたちが大好き
佐々木朗希選手の母親(陽子さん)のfacebookに佐々木朗希選手か兄・弟か不明ですがツーショット写真を公開しています。
子どもたちが大好きなだからだとわかりますね。
そんな大好きな子どもたちに新しい父親を迎えるのは子どもたちの為にならないと考えたのでしょうね。
佐々木朗希選手の母親は愛犬も大好き
また、2016年頃からは佐々木朗希選手と同じ11月3日生まれのラムちゃん(2016年11月3日生まれの)の愛犬を飼っており、現在もラムちゃんと生活しているようです。
愛犬ラムちゃんは佐々木朗希選手の父親が亡くなって5年後(2016年)に飼い始めたようです。
この頃には佐々木朗希選手含む三人兄弟も大きくなり手がかからなくなったことから飼い始めた可能性は高いですね。
(佐々木朗希選手は2001年生まれなので2016年には15歳になっていました。)
ラムちゃんを飼う事を決めたということは子どもが巣立っても再婚という形はとらず、愛犬と生きていこうという気持ちでいたのかもしれません。
佐々木朗希選手の母親は兄・琉希さんに父親代わりをお願いし、生き残った家族で懸命に頑張ると決めたから
元々、2011年の東日本大震災当日までは祖父母と佐々木朗希選手の父親を含む7人で暮らしていました。
しかし、東日本大震災後に生き残ったのは佐々木朗希選手の母親・佐々木朗希選手を含む3兄弟4人だけでした。
そんな中で生き残った家族4人で懸命に生きていこうと頑張ると決めた可能性は高いですね。
家族4人で懸命に頑張ってきた日々
https://athleterecipe.com/column/1/articles/201907260000200
兄・琉希さんの存在は佐々木朗希選手の母親頼もしい存在だった事でしょう。
家族4人で懸命に生きていくために兄・琉希さんに父親代わりをお願いして佐々木朗希選手の母親は懸命に3人兄弟を養うことに没頭したのが想像できます。
そこに再婚という考えがそもそも無かったのは「(生き残った4人で)懸命に頑張る」と決めた以上当たり前の考えだったのかもしれません。
佐々木朗希選手の母親はどんな人?(職業)
- 名前:佐々木陽子
- 年齢:49歳(2022年で)
- 現在の居住地:岩手県大船渡市
佐々木朗希選手・兄と弟の3人兄弟を育て上げた佐々木朗希選手の母親。
懸命に働いていたそうですが、職業については公表されていませんでした。
佐々木朗希選手の祖母も他界しており、祖父は未だに行方不明ということからも祖父母に頼ることも出来なかったと想像できます。
また、佐々木朗希選手の兄・琉希さんが父親代わりに面倒を見てくれていたことからも
- フルタイム勤務をされていた
- 掛け持ちをしていた
可能性は高いですね。
佐々木朗希選手の母親の教育方針について
男の子は背が高い方が何かと有利かなと考えていた佐々木朗希選手の母親は大きく育てようとある工夫をしていました。
それは早寝を促していた事です。
2000年代後半に、岩手県の教育界・スポーツ界では「早寝する子は育つ」という説が口コミで広がっていたそうです。
また、地元の保育士から「子どもの背を伸ばしたいなら、夜9時には寝かせないと」とアドバイスされた佐々木朗希選手の母親は、すぐに実践したんだそうです。
具体的にしていたことは毎晩20時には就寝の準備をし、明かりを消すというもの。
佐々木朗希選手は友達が話すドラマの話題についていけなかったエピソードを語っていますが、同時に早寝効果の高さを認めていました。
「小さい時に、いっぱい食べていっぱい寝たので、それで大きくなったので」
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202105270001240.html
そのかいあってか、父・功太さんの身長をはるかに超える190センチまでに成長したんですね。
佐々木朗希選手の母親・まとめ
佐々木朗希選手の父親と母親は評判の仲良し夫婦だったそうです。
それもあってか、現在も佐々木朗希選手の母親は再婚していないことがわかりました。
また、令和の怪物を育て上げた佐々木朗希の母職業は公開されていませんでしたが、大きく育てたいという教育方針で毎晩21時には就寝していました。
そのかいあってか佐々木朗希選手は190センチまでに成長をすることが出来たのですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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