山口友規選手といえば、高校陸上競技5000メートルの歴代3位を記録するほどの実力者です。
現在は早稲田大学陸上競技部に所属し、早速結果を残しています。
そんな山口智規選手が中学時代は、陸上と野球の両立をした過去や現在のように陸上競技に絞ったきっかけなどについてご紹介します!
この記事でわかること
- 山口智規選手の中学時代・陸上と野球を両立していた?
- 山口智規選手の中学時代・進路を陸上に絞ったきっかけは?
- 山口智規選手の中学時代・まとめ
について解説していきます!
山口智規の中学時代・陸上と野球を両立していた?
いまでこそ早稲田大学のスーパールーキーとして知られる山口智規選手ですが、中学時代は陸上と並行して野球もしていました。
山口智規選手が野球を始めたのは小学3年生のころで、小学6年生の時には千葉県の選抜チームに入るほどの実力がありました。
中学校に入学後は陸上は中学部活動へ所属し、野球は部外のリトルシニアチーム「匝瑳(そうさ)リトルシニア」でプレーし出します。
このころから2足の草鞋を履いて歩み出すのです。
山口智規選手が通っていた中学校は「銚子市立第二中学校」です。
山口智規選手が卒業されて以降エアコンやタブレット端末の整備も進み近代化してることが銚子市立第二中学校の学校案内にある学校沿革史より分かります。
また画像からも分かるとおり、広いグラウンドを所有しており山口智規選手がここで陸上部として伸び伸びと活動していたと容易に想像できます。
野球の活動としては郊外のチーム「匝瑳リトルシニア」に所属し、第44回日本選手権大会(2016年)へ出場を決めてベスト16と結果を残す成績を残しています。
現在、陸上競技者としても大活躍中の足を活かして1番ショートで活躍していました。
この頃は陸上競技を週に2回、野球を週に4回と野球へ力を入れていたため、校名は公表されていませんが高校野球の強豪校からも誘いがあったほどでした。
そして2足の草鞋を履き歩むことになったエピソードを下記のようにコメントしていましたのでご紹介します。
野球のチームメイトの皆が陸上部に入ったので、一応自分も陸上部に名前を入れておきました。
日刊スポーツ
所属した理由に驚きですが、さらに「練習にはあまり参加しなかったですが、大会に出てみたら、なぜか勝てました」ともコメントしており才能の塊だったことがわかります。
早稲田大学の若きエース山口智規選手ほどの運動神経があればスポーツが何であれ結果が残せていたのも納得ですね。
山口智規の中学時代・進路を陸上に絞ったきっかけは?
山口智規選手の進学先は「学校法人石川高等学校」です。
学校法人石川高等学校は1999年以前は甲子園出場経験があるほど野球が強い高校でしたが、山口智規選手は陸上部に専念することを決めます。
山口智規選手は中学時代に野球の強豪高校からも誘いがあるほどの才能がありながら陸上競技者として進む道を選びました。
その理由について山口智規選手のコメントをご紹介します。
野球をやるにはガタイ(体)が小さいと感じるようになったんです。
日刊スポーツ
早稲田大学公式HPでは山口智規選手のガタイ(体)は下記になります。
- 身長:172cm
- 体重:57kg
野球選手としては確かに小柄な選手ですが、自分の将来について考え出した頃が中学生で高校進学時と思うと素晴らしい判断能力ですよね。
また、陸上で将来活躍するために学校法人石川高等学校を選んだきっかけは父親の勧めにあったんです。
学校法人石川高等学校の監督である松田和宏氏の指導力もあって、自然と足が早くなっていったとのことです。
松田監督との出会いがなければここまでタイムが伸びていなかったかな…本当に感謝しています。
日刊スポーツ
高校1年生の県新人大会で自身より速かった選手に勝った自信をそのままに5000mで13分35秒16と好記録を叩き出します。
信じた先の確かな指導力と山口智規選手の才能が重なった結果、最高の成果を生み出すことに成功したのです。
山口智規選手の陸上競技者としての記録を見ると自身の判断により陸上を選び、自身の才能を父親によって導かれ、その才能を開花させる指導力に出会えた奇跡が必然であったようにも思えますね。
山口智規の中学時代・まとめ
今回「山口智規選手が中学時代に野球と陸上を両立」させていたことがわかりました。
また、野球の実力も野球強豪高校に誘われるほどの実力者であったことも判明しまし。
才能の原石が自身で陸上を選び、父親に導かれ、陸上選手の育成に定評がある指導者と出会い開花し、駅伝で活躍する。
そんなストーリーが見えてきそうな山口智規選手のこれからの活躍に目が離せません。
以上、山口智規選手の中学時代はシニアで野球をしていた!陸上に絞ったきっかけは?でした。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
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