矢澤宏太(やざわ こうた)選手といえば、大学野球の名門である日本体育大学で「4番・エース」を担う二刀流プレイヤーとして話題です。
特に首都大学秋季リーグ戦では、投手成績「7試合中3試合の完封」打者成績「打率3割」の活躍は記憶に新しいでしょう。
大谷翔平選手に続く二刀流として期待されている矢澤宏太選手ですが、幼少期から二刀流として頭角を表していたのでしょうか。
矢澤宏太選手の幼少期から現在について、「どの時代から才能が開花したの?」「元々天才だったの?」など気になりますよね。
二刀流の若き天才「矢澤宏太選手」の中学時代などの生い立ちについてご紹介します!
この記事でわかること
- 矢澤宏太選手の幼少期〜中学時代
- 矢澤宏太選手の高校時代
- 矢澤宏太選手の大学時代
について解説していきます!
矢澤宏太選手の幼少期〜中学時代
東京都町田市出身である矢澤宏太選手は「町田リトル」で6歳から野球を始めています。
野球をはじめた年齢「6歳」
野球日本代表侍ジャパンオフィシャルサイト
矢澤宏太選手が野球を始めたきっかけは「親戚が野球をしていた」からです。
野球をはじめたきっかけ「親戚の方が野球をしていたから」
野球日本代表侍ジャパンオフィシャルサイト
中学時代
矢澤宏太選手の出身中学校は「町田市立忠生中学校」です。
中学時代は中学校の野球部活動ではなく「町田シニア」へ所属していたことがわかりました。
矢澤宏太選手 町田シニア在籍時の大会記録 | ||
2013年 | リトルシニア西東京支部新人育成大会 | 2回戦 |
2014年 | 東京福生ライオンズ旗西東京大会 | 決勝戦 |
リトルシニア西東京支部秋季大会 | 敗者復活戦決勝戦 | |
リトルシニア関東連盟秋季 | 1回戦 | |
リトルシニア西東京支部東京中日スポーツ杯 | 決勝戦 | |
2015年 | リトルシニア西東京支部春季大会 | 敗者復活戦決勝戦 |
リトルシニア関東連盟春季 | 1回戦 | |
リトルシニア関東連盟夏季 | 1回戦 | |
リトルシニア林和男杯西東京大会 | 決勝戦 |
2014年時に出場したリトルシニア西東京支部東京中日スポーツ杯では、当時調布リトルシニアに所属した清宮幸太郎選手(北海道日本ハムファイターズ)とも対戦して見事勝利しています。
幼少期から現在まで練習で生きた考え方
現在ではドラフト1位候補と呼ばれるほど野球の実力をつけた矢澤宏太ですが、町田リトル時代のコーチからの教えがいまも活きているのです!
勘違いの才能を持ちなさい
町田リトルコーチ
この「勘違いの才能」は少年野球ではチームで最も背が低かった矢澤宏太選手がプロで活躍する夢を追い続けた理由の1つとなりました。
この考えを信じ、ある信念を持って練習に挑むようになったと矢澤宏太選手が後にコメントしています。
「周りから何と言われようと、自分だけは勘違いでもいいから『プロに行ける』と思って練習していました。」
First-Pitch
小学生の頃は半信半疑だったようですが、「チーム1の速球投手」「チーム1の長打力」を目標に練習しました。
この努力が実り、現在ではU-23野球日本代表に選ばれるほどの選手となっているのです!
高校でもプロでも、もう少しでプロになれると自身に言い聞かせるほどのマインドコントロールはさすがですね。
矢澤宏太選手の高校時代
矢澤宏太選手の出身高校は「東嶺藤沢高等学校」です。
東嶺藤沢高等学校は神奈川県藤沢市に1915年に創立された学校で甲子園出場経験があります。
中高一貫教育の私立学校で「男子校」です。
石井貴選手(埼玉西武ライオンズ)や代田建紀選手(千葉ロッテマリーンズ)などの元プロ野球選手も輩出しています。
矢澤宏太選手は実績ある学校で入学してからまもなく頭角を表し始めます。
高校1年生
1年夏には「背番号11」を背負いベンチ入りするなど才能の片鱗を見せ始めるのです。
さらに、1年生秋にはすでに「エースとしてチームを牽引」するほどになっていました。
高校2年生
2年秋はピッチャー兼センターで出場していた矢澤宏太選手。
矢澤宏太選手の積み重ねてきた努力が打者としても監督に評価されての抜擢でした。
矢澤宏太選手は重要な3番打者を務め、監督の抜擢に対して神奈川大会ベスト8と結果で応えたのです。
高校3年時
3年夏は南神奈川大会ベスト8に終わりました。
お気づきでしょうか?現在ドラフト1位候補とまで噂されるまで至った矢澤宏太でも、高校3年間で甲子園に手が届かなかったのです。
狭き門と呼ばれるプロ野球選手への登竜門である甲子園の出場がいかに難しいものなのか「再認識」させられますね。
しかし、矢澤宏太選手のすごいところは1年生でエースを手にしましたが「慢心」することはなく、日々「前進」しているのです。
その結果として、投手としては「148km本格派左腕投手」打者としては「小柄ながら32本塁打の強打者」と成長を遂げていきました。
大学を進学した理由
大学進学を決めた理由はプロ指名落ちによる心境の変化にあったのです。
当時プロへの思い入れはなかった矢澤宏太ですが、プロ入りを期待してくれた人がたくさんいたことを知り、改めてプロへ行きたいと自身で感じたそうです。
感謝の気持ちを忘れない矢澤宏太らしい理由ですね。
矢澤宏太選手の大学時代
矢澤宏太選手の大学は「日本体育大学」です。
日本体育大学を選んだ理由は「投手育成力」にあります。
こういう攻められ方をしたら嫌だという打者の気持ちを考えて投げることができますし、打席に立つ時は、投手のいろいろな仕草から配球を考えることもできます
スマイルスポーツ
矢澤宏太選手のコメントからも分かる通り、投手一筋として絞る考えからではなく「投打の成長」両方を伸ばすためだったのです。
大学でのデビューは1年時からで、1番センターでレギュラーとして選出されています。
また、1年生の頃から3年連続で大学日本代表候補に選出されるなど活躍は止まることを知りません。
2年時には外野手として打率.368を記録し、ベストナインに選出もされています。
投手としても1年時から出場はしていましたが、体が細身であることから長期的な育成を目標に3年生までほとんど登板していません。
本格的に投打の二刀流として活躍し出したのは、目標通りの3年生からでした。
投手としての首都大学リーグ通算記録は下記の通りです。
- 7勝5敗
- 防御率1.59
打者としての首都大学リーグ通算記録は下記の通りです。
- 打率.265
- 4本塁打
- 17打点
素晴らしい記録を残し、侍JAPAN大学日本代表にも選出されています。
矢澤宏太選手の中学時代や高校について・まとめ
今回、矢澤宏太選手は幼少期から恵まれた身体能力があった訳ではなく、努力の天才だったことがわかりました。
また、大谷翔平選手のように恵まれた体躯がなくても努力や工夫で二刀流になれると全国の野球少年に夢を与えそうなことが判明しました。
そんな二刀流プレイヤー矢澤宏太選手の今後の活躍に目が離せません!!
以上、矢澤宏太選手の中学時代や高校について!でした。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
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