横浜高校野球部出身で、2023年現在は社会人野球(ENEOS所属)で活躍する度会隆輝選手ですが、お父さんの博文さんは、元ヤクルトスワローズでプレーしていたプロ野球選手だったそうです。
この記事では、お父さんの度会博文さんの経歴や現在の様子をまとめていきたいと思います!
度会隆輝の父親・博文は元ヤクルト選手で活躍していた?
度会隆輝選手のお父さんである度会博文さんは、1972年1月26日生まれの元プロ野球選手です。
1993年から2008年まで、ヤクルトスワローズに所属していました。
引退した2008年まで、結果としてレギュラーを勝ち取ることはなかったと言えますが、内野外野を両方こなせる器用なプレイヤーで、堅守と代打での勝負強さで当時のヤクルトスワローズを支えました。
15年間のプロ野球生活での通算成績は以下の通りです。
年度 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁刺 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 長打率 | 出塁率 |
1998 | 85 | 227 | 205 | 26 | 54 | 9 | 0 | 4 | 75 | 12 | 1 | 1 | 8 | 1 | 12 | 1 | 32 | 4 | 0.263 | 0.366 | 0.306 |
1999 | 19 | 41 | 38 | 3 | 8 | 0 | 0 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 4 | 1 | 0.211 | 0.211 | 0.25 |
2000 | 60 | 61 | 53 | 8 | 14 | 2 | 1 | 0 | 18 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 10 | 1 | 0.264 | 0.34 | 0.304 |
2001 | 53 | 52 | 49 | 11 | 15 | 5 | 0 | 1 | 23 | 8 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0.306 | 0.469 | 0.306 |
2002 | 72 | 89 | 83 | 6 | 18 | 4 | 0 | 2 | 28 | 9 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 16 | 3 | 0.217 | 0.337 | 0.261 |
2003 | 39 | 45 | 40 | 8 | 12 | 3 | 0 | 2 | 21 | 4 | 0 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 8 | 1 | 0.3 | 0.525 | 0.349 |
2004 | 56 | 64 | 60 | 1 | 17 | 4 | 0 | 0 | 21 | 11 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | 1 | 14 | 1 | 0.283 | 0.35 | 0.313 |
2005 | 45 | 64 | 60 | 1 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | 0.117 | 0.133 | 0.131 |
2006 | 27 | 31 | 28 | 3 | 10 | 2 | 0 | 0 | 12 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 4 | 1 | 0.357 | 0.429 | 0.4 |
2007 | 68 | 95 | 88 | 9 | 18 | 4 | 0 | 0 | 22 | 8 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 16 | 1 | 0.205 | 0.25 | 0.202 |
2008 | 3 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1993〜1997年は1軍出場機会はなく、1998年に1軍デビューを果たしています。
1軍ではレギュラーとして定着することはありませんでしたが、どこでも守れる、という強みと、2軍戦では打率3割を切ることがなかった勝負強さで、代打の切り札として1軍ベンチで準備をしていることが多かったようです。
1軍昇格を果たした1998年は野村克也監督の最後のシーズンでもありました。
最下位に沈む5月14日の広島戦で、度会選手はサヨナラ弾を放ち、チームの4連勝と最下位脱出に貢献します。
その年は野村監督の期待に応えるキャリアハイの成績を残します。
翌年1999年からは、新監督の若松監督に代わり出場機会へ減るものの、代打の切り札としてヤクルトになくてはならない存在となりました。
代打や途中出場中心で打率2割後半を記録することはなかなか難しいといわれています。
ハイレベルなプロの世界で、少ないチャンスを物にしてきた結果ですね。
結論、スーパーサブとして当時のスワローズで唯一無二の存在として活躍していたといえるでしょう。
【2023年】度会隆輝の父親・博文の現在の職業は?
現役時代はヤクルトスワローズで活躍した度会博文さんですが、現在はヤクルトジュニアの監督としてご活躍されています。
2018年からジュニアの監督に就任され、19年、20年はチームを優勝へ導いています。
スカウトされたとき、元気のよさを買われてヤクルトに入団したといわれている度会さんなので、子供たちにも元気いっぱい、楽しく指導されてそうですね!
ジュニアの監督の傍ら、ヤクルトスワローズのスカウトとしてもご活躍されています。
ジュニアチームの監督をされていると、少年野球のうちから上手な子に出会えるので、効率的ですね!
度会隆輝の父親・博文の野球実績について!
ここで、度会博文さんに野球実績についてまとめていきたいと思います。
1987~1989年 八千代松陰高校野球部
度会さんは千葉の八千代松陰高校の野球部に所属されていました。
1989年、度会さんが3年生の時には千葉県でベスト4まで勝ち抜き、準決勝では千葉の強豪、拓大紅陵に敗北し、最後の夏を終えています。
↓1989年の戦績
第71回 千葉大会 | ||
2回戦 | ○ 14-0 | 佐倉 |
3回戦 | ○ 11-0 | 暁星国際 |
4回戦 | ○ 7-0 | 国府台 |
5回戦 | ○ 6-1 | 横芝敬愛 |
6回戦 | ○ 5-0 | 志学館 |
準決勝 | ● 2-9 | 拓大紅陵 |
当時のメンバー等はわからなかったですが、5試合で1失点というかなり堅守なチームだったようで、3年ぶりのベスト4という結果を残しています。
残念ながら、試合の詳細情報は見つからず、度会さんの成績も不明でした。
1990~1993年 千葉 中央学院大学 野球部
八千代松陰高校を卒業後は、中央学院大学へ進学し、野球部へ入部されいています。
大学時代の成績の情報もあまり出回ってはいませんでしたが、大学2年生のころから目立つ成績を残すようになり、3度首位打者に輝いているようです。
そして、大学生の時に明治神宮外苑で草野球をしていた時に、当時のヤクルトのスカウト、片岡宏雄さんに声を掛けられ、ヤクルトへ入団することになります。
1994~2008 ヤクルトスワローズ
草野球中に、スカウトの片岡宏雄さんに元気の良さを買われ、ドラフト3位指名でヤクルトスワローズへ入団を果たしました。
前述のように入団から5年間は1軍での出場機会はありませんでしたが、2軍では輝かしい成績を残されています。
そして1998年、1軍デビューを果たし、開幕スタメンで起用されました。
その年は、野村監督の指揮のもと、キャリアハイの成績を残します。
翌年、1999年は2軍中心の1年となりますが、2軍で首位打者に輝くなどし、1軍での代打の起用が増えました。
ここから引退までは、代打と、どこでも守れる守備要員としてチームを支えました。
そして、2008年を最後に現役を引退されました。
2009~2012 ヤクルトスワローズ2軍にてコーチ
現役引退後は、ヤクルトスワローズの2軍で外野守備走塁コーチを務めました。
その後は球団広報やスカウトを務め、裏方としてヤクルトスワローズを支えました。
2018~ ヤクルトジュニア監督
2018年からはヤクルトジュニアの監督を務めています。
NPB12球団ジュニアトーナメントでは19年、20年とチームを優勝へ導いています。
第1回大会(2005年)以来の優勝だそうです。
指導者としての手腕も素晴らしいですね!
度会隆輝の父親・博文は子供に野球を教えていたのか
ここまで度会博文さんの野球歴についてみてきましたが、野球が大好きで、その思いがプロ野球へとつながった、という印象でした。
そんな度会さんには長男の基輝さん、次男の隆輝さんの2人のお子さんがいらっしゃいます。
2人とも、社会人野球で活躍中の野球選手です。
度会さんはそのお子さんたちに野球を教えていたのか調べみると、小さいころは度会さんご本人のシーズン中ということもあり、あまり練習を見る時間がとれていないと、語れているそうです。
2人の息子は父の背中を見て、野球を始めた。できる限り、練習に付き合ったが。シーズン中はなかなか時間が取れなかった。それでも夫人も懸命に2人の息子の練習相手としてバックアップしてくれていた。
「素振りやティー打撃……2人とも自分がいなくても、地道に練習をしていましたね。それが一番上手になる近道ですし、本人たちもそう思っていたと思います」
引用元 full-Count
一緒に練習はできなくても、プレーで子供たちに伝えていたのですね。
そして、子供たちには
「練習はきついからこそ 明るく元気に!」
引用元 full-Count
と幼少期からずっと伝えきたそうです。
明るく元気にやっていたところをスカウトされた度会さんがいうと、とても説得力があります!
野球って、試合だけみると一見楽なスポーツに見えますが、練習はかなり厳しいスポーツです。
その中で求められるのは「声・元気」です。
声で回りと自分を鼓舞し、支えあうことが大事です。スポーツ全般そうですが、これがなかなかできない選手が多いのです。
技術は伝えきれていなくても、一番大事なことをしっかり伝えているなと感じました。
度会隆輝の父親・博文 まとめ
ここまで、度会隆輝選手の父、度会博文さんのついて調べてきました。
現役時代は、決して目立つ存在でないですが、「元気」を買われヤクルトスワローズ入りし、15年間、レギュラーは取れなくとも決してあきらめることなく、代打やどこでも守れる守備力で一軍を支え続けました。
現役引退後も、コーチやスカウト、広報として球団を支え、現在はヤクルトジュニアの監督として、子供たちの指導にもあたられています。
持ち前の明るさと元気を、令和の子供たちに伝えていただき、今後の野球界を盛り上げていただきたいですね!
度会さんは入団から現在まで一貫してヤクルト一筋でご活躍されています。きっと球団側からも、チーム運営に必要な人材として評価されているのでしょう。明るい人柄も、組織には必要ですね!
そして、2023年ドラフト候補の次男・隆輝選手の去就も気になるところです。
今後も度会親子の活躍に期待ですね!最後までお読みいただき、ありがとうございました!